表丹沢の玄関口として知られる神奈川県の秦野市。丹沢で山登りやキャンプ、森林セラピー、農業体験など、自然を楽しみに訪れる観光スポットが多くあります。そんな丹沢山系のお膝元に、明治時代から歴史を紡ぐ秦野市唯一の酒蔵「金井酒造店(かねいしゅぞうてん)」と、コミュニティービール「地域のおとなが面白ければ、その地域は面白くなる!」をコンセプトに生まれた、秦野初のクラフトビールHANOCHA(はのちゃ)を販売する「片倉商店」があります。
今回は、丹沢の自然の恵みに育まれた秦野のお酒を特集!山好きでお酒に目がない秦野在住の筆者が、
ワクワクしながら取材先へ向かいました。地域に根付いた歴史ある日本酒づくりを未来へ。そして、秦野産の原材料にこだわったお酒やクラフトビールを通して、人と人との輪が広がるようにと、さまざまな想いが交差する地域愛に溢れたお酒造りの裏側をレポートします。
目次
明治元年に創業、秦野市で唯一の酒蔵「金井酒造店」
金井酒造店は、明治時代から約150年以上の歴史がある秦野市の唯一の酒蔵です。まるで丹沢山系に見守られているかのように、表丹沢の山並みに囲まれた堀山下(小田急小田原線の渋沢駅からバスで10分)にあります。明治元年に、当時では珍しく一人の女性、佐野リキが蔵元となり創業以降、秦野の地で代々酒造りの技術が受け継がれてきました。丹沢の伏流水で仕込んだ「白笹鼓(しらささづつみ)」を中心に、地元の人々に愛される日本酒を展開しています。
歴史と伝統のある金井酒造店ですが、全国の酒蔵と同様に、後継者不足やコロナ禍で業績不振などの苦心があり、2021年にM&Aでくじらキャピタル株式会社が酒造事業を取得。事業再生に向けてデジタルを取り入れた改革に取り組み、2023年に株式会社ココハダLABに酒造事業が譲渡されました。
ココハダLABは秦野で地域活性化事業に取り組むローカルエージェントカンパニー。同社代表の椎野祐介(しいのゆうすけ)さんが金井酒造店の代表取締役に就任し、地域の人たちが親しみやすい「地域に開かれた酒蔵」や、日本酒づくりの伝統を未来へとつなぐ「未来を醸す酒蔵」を目指し、蔵開きフェスティバルや、秦野産のお米をつかった新しい日本酒「ミライザケ」のクラウドファンディングといった新たな取り組みに挑戦しています。
酒蔵見学へ!
せっかくなら日本酒造りを見てみたい!ということで蔵見学をさせていただきました。金井酒造店では、6月〜9月中旬頃まで事前予約限定で酒蔵見学をすることができます(醸造期間中を除く)。取材した12月現在は仕込みの期間中でしたが、特別に酒蔵を案内していただきました。
まずは蔵の入口で、製作行程の解説図を見ながら、日本酒ができるまでの流れを教えてもらいます。お酒好きの筆者ですが、知らないことばかりです。
日本酒は、焼酎・泡盛・みりんなどと同様に、「こうじ菌」を用いた発酵方法を採用していることが特徴です。ぶどうの糖分で自然発酵されるワインなどとは異なり、お米のでんぷん質を「こうじ菌」で糖化させることと、酵母によるアルコール発酵が一つのタンクで並行して行われます。これは「並行複発酵」と呼ばれ、500年以上前の室町時代に原型が確立されたと言われる伝統的な技術です。
説明の冒頭で椎野さんは「2024年12月5日に日本酒(日本の伝統的な酒造り)がユネスコの無形文化遺産に登録されたんですよ」とうれしそうに話していました。取材日となった12月、日本各地で代々と受け継がれてきた酒造りの技術が、次世代へと受け継がれるべき文化として世界で認められたタイムリーな瞬間に立ち会えて胸が熱くなりました!
ライターメモ ユネスコ無形文化遺産とは
ユネスコ無形文化遺産とは、芸能や伝統工芸技術などの形のない文化で、土地の歴史や生活風習などと密接に関わっているものを認定しています。ユネスコの「無形文化遺産保護条約」に基づき、グローバリゼーションや社会の変化などによる衰滅や消滅の脅威にさらされている無形文化遺産を保護することを目的としています。
日本酒の原料となるお米を手に取ると、普段の食卓に並ぶ食用米よりもだいぶ小粒です。雑味をなくすために表層部分は削りとられ、半分位の大きさまで精米されているそう。日本酒をつくるのに大量のお米が必要であることを実感します。
精米後は、お米を蒸す作業。
蒸しあげられたお米を念入りに確認している作業に出会いました。近年は猛暑の影響でお米の高温障害が多く発生し、収穫量が減ったり原価高騰につながるなど、さまざまな問題が生じているとのこと。今後、高温障害が標準化してくるのではないか…と今後の課題に対し、対抗策を考えている姿が印象的、昨今の猛暑が続く自然環境の変化が、すでに日本酒造りに欠かせないお米、そしてお酒づくりにも影響を及ぼしているのだと学びました。
酒母づくりでは、酵母菌を増殖させるために15分に一度、かき混ぜる作業があります。ぶくぶくと発酵している状態を確認しながら「良い感じにできています」と笑顔になる一幕もありました!
さらに、大きな仕込みタンクが並ぶ仕込み部屋へ。新しく導入されたサーマルタンクは、酵母の働きをコントロールする温度管理機能付きです。酵母の種類に合わせて適切な温度で管理しています。大きな仕込みタンクがたくさん並ぶ光景は圧巻です!
製麹室は立ち入り禁止なので、写真で解説していただきました。こうじ菌を蒸米に振りかける作業は、今でも手作業で行っていて、日本酒造りの要でもあるとのこと。入口での説明通り、ユネスコ文化遺産に登録された伝統的なお酒づくりに欠かせない行程の一つです。
仕込み部屋でじっくり熟成させた後は、圧搾、濾過、火入れなどの工程を経て、製品の質を安定させて日本酒の完成となります。
秦野の名水を守る
金井酒造店の酒蔵見学で屋上へと上がると、表丹沢の山がずらりと並ぶ景色を望みます。丹沢の山を眺めながら、椎野さんが秦野の名水について教えてくれました。
神奈川県の唯一の盆地である秦野市。山に降り注いだ雨が長い年月をかけて濾過され、適度なミネラルを含むおいしい水となり秦野盆地の地下に蓄えられます。その豊かな水脈から、「天然の水がめ」と呼ばれることもあります。この長い年月とは、なんと5年以上の歳月がかかるのだとか!秦野市内にはいくつも湧水スポットがあり、2016年には環境省の「名水総選挙」で湧水をボトリングした「おいしい秦野の水 丹沢の雫」がおいしさ部門で1位に選ばれています。
金井酒造店では、酒蔵の奥に井戸があり、秦野のおいしい地下水(伏流水)を日本酒の仕込みに使っています。大量の地下水を利用するために、水質を管理している金井酒造店。椎野さんは、「日本酒づくりに欠かせない水を確認することは、秦野のおいしい水の水源を守ることにもつながるんです」とある種の使命感を感じているようにも見えました。
お米と同様に、日本酒造りには欠かせない「水」ですが、地域ごとに硬度やミネラルの成分が異なり、日本酒の味を左右すると言われています。秦野を訪れた際には、その土地の風土がもたらした「名水」で仕込まれた日本酒を試してみてはいかがでしょうか。
新たな挑戦と秦野産のお米で醸す日本酒「ミライザケ」
地域の人たちに愛されてきた「白笹鼓」を製造する金井酒造店ですが、時代の変化に合わせて新
たな展開を始めています。
白笹鼓のネクストブランドとして、酒蔵再生を掲げた新たな挑戦を象徴づける「黒笹」シリーズ。「黒笹Classic特別純米」は、令和6年東京国税局酒類鑑評会純米燗酒部門において優等賞首席 を受賞しました。
日本酒を通して秦野を知ってもらおうと製造されているのは、表丹沢最高峰の「塔ノ岳」や、登山の起点として知られる「ヤビツ峠」をラベルにあしらったシリーズです。塔ノ岳のラベルには、丹沢でも人気の高い琥珀色の鳥・オオルリの姿もあり、山好きにはたまらないデザインです。
また、秦野市で農業を営む「株式会社 大地」と田植えから挑戦し、地域を巻き込んだプロジェクトから生まれた100%秦野産のお米と水で醸した日本酒「ミライザケ」は、販売開始からわずか 一カ月で売り切れるほどの話題ぶりです。金井酒造店の新たな取り組みに目が離せません。
HANOCHA実行委員会が手がける、秦野初のクラフトビール
日本酒に続いて、秦野市に新しい風を吹かせて地域を盛り上げようと挑戦する人々がいます。その挑戦とは、秦野初のクラフトビール。その旗振り役を担うHANOCHA実行委員長で片倉商店の片倉邦雄(かたくらくにお)さんに、お話しを伺ってきました。
HANOCHA(はのちゃ)は、「このまちから新しいモノを生み出したい」という想いから2020年10月にココハダLABが手掛けて誕生した、秦野初のクラフトビールです。
片倉さんによると、HANOCHAクラフトビールが手掛けられた背景には、コロナ禍があると言います。飲食店が大きな打撃を受け、しばらくの間、人の流れが無くなり街に活気が失われていました。そろそろ飲食店が再開するというタイミングで、何か飲食店に人が集まるシンボルとなるような、起爆剤となるようなものがあればという想いから「秦野初のクラフトビール」の実現に至ったとのこと。「HANOCHAを飲もうか!」と人々が集まり、イベント等が開催されるきっかけとなるこで、街が元気になればという想いがあったと語ります。
もともとはココハダLABが製作していましたが、現在は、秦野市の飲食店や酒屋を経営するメンバーを中心にHANOCHA実行委員会を立ち上げ、片倉さんをはじめとする委員5人が一丸となり、より多くの人の手に渡るようにと精力的に活動しています。
HANOCHAのこだわりは、農林水産大臣賞をはじめ数々の賞を受賞している「高梨茶園」の茶葉が使われていることです。高梨茶園は、秦野の山間地で代々お茶畑を営んでいて、近年ではプレミアムティコンテスト2023和紅茶部門で最も高い評価である5ツ星を獲得したことでも話題になりました。
HANOCHAクラフトビールのラインナップは現在、第1弾となった「前茶ゴールデンエール」、第2弾の「ほうじ茶アンバーエール」、第3弾で限定販売された「和紅茶ペールエール」の3種類(和紅茶ペールエールは現在完売中)。
煎茶ゴールデンエールは、高梨農園の高級煎茶が使われています。お茶が生む爽やかな風味と、ゴールデンエールのフルーティーさをマッチさせた透き通る味わいです。
ほうじ茶アンバーエールは、アンバーエールの琥珀色の色合いが、ほうじ茶にピッタリ。麦芽の香ばしさの中にほのかな甘みを忍ばせ、深いコクを引き出しています。
和紅茶ペールエールは、和紅茶の華やかな香りとペールエールのふくよかなうま味がフィット。2024年10月の販売開始直後に完売となるほど、多くの反響があるそうです。
片倉さんは、「和紅茶ペールエールは、HANOCHA誕生から3周年を記念した500本限定醸造です。高梨茶園の和紅茶は、今まで飲んできた紅茶のイメージがくずれるほど全く別物。この甘味と香りをどうにかビールに出したかった」と笑顔を見せました。
人と人との輪が広がるように
HANOCHAのラベルには、「BEER COMMUNITY(ビア コミュニティー)」と記載があります。片倉さんは、秦野の地域の人や、遊びに来た人が、秦野産のビールを手に取って話題にすることで、人と人との輪が広がるきっかけとなるような願いが込められていると言います。
「秦野の飲食店を中心に展開してきましたが、最近では、ふるさと納税の返礼品に選ばれ、お歳暮や、秦野ギフトとして手にとってくれる人も増えて、認知が広がってきたと感じています。お土産に選んでもらえれば秦野の話題が外に広がり、地域活性化につながっていくはずです」と頬をゆるめる場面もありました。
お話しを聞きながら、取材日の少し前に秦野の飲食店で、丹沢の山に遊びにきてくれた友人に「秦野産のビールがあるよ!」と話題にしていたことを思い出しました。
販売をはじめてから4年目になるHANOCHAクラフトビールは、すでに販売数が1万本を突破しました。片倉さんの「量を追うのではなく、これが秦野にあることで輪が広がったら」という言葉の通り、人から人へと想いが伝わり反響を呼んでいます。
HANOCHAクラフトビールは、片倉商店と宮川酒店、またはオンラインで購入できます。秦野の飲食店でも提供しているので、詳細はHANOCHAホームページにてご確認ください。
ライターメモ
片倉商店では、日本酒・ビール・ワインなどのお酒類だけでなく、「秦農」と名付けた秦野産の採れたてのお野菜や、手作りのオリジナルのお漬物などを販売しています。お酒のあてにもぴったりです!表丹沢に遊びにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。
筆者あとがき
丹沢の山や自然が好きで秦野に移住してきた筆者ですが、今回の取材を通して、表丹沢の自然に囲まれた環境は、近隣でアウトドアを楽しむことができるだけでなく、さまざまな恩恵を与えてくれていると実感する機会となりました。特に、秦野の名水を日常的に飲むことができ、たっぷりと使うことができるだけの水源があることで、質の高い日本酒やお茶、農作物を作ることにつながっているとしみじみと感じました。
また、日本酒造りの新しい試みも、秦野初のクラフトビールHANOCHAも、関わっている大人が楽しそうにワクワクしながら話している姿が印象的でした。地域の人たちに伝染し、新しいものが生まれていくお酒造りを、これからも楽しみに追っていきたいです。
取材にご協力いただきましたお店のご案内です。
■施設名:金井酒造店
■住 所:神奈川県秦野市堀山下182-1
■お問合せ:0463-88-7521
■営業時間:月曜日〜土曜日、祝日の9:00〜17:00
■一般公開日:蔵の見学は事前予約制(実施時期:6月〜9月中旬)
■施設情報
公式ホームページ:https://www.kaneishuzo.co.jp/
Instagram: https://www.instagram.com/kaneishuzo/
◆駐車場 :敷地内に5台ほど駐車できます。
◆イベント詳細は公式ホームページをご覧ください。
■施設名:片倉商店
■住 所: 神奈川県秦野市堀川10-35
■お問合せ:0463-88-4132
■営業時間:8:00~19:00
■定休日: 木曜日
■施設情報
公式ホームページ:https://katakura.info/
Instagram:https://www.instagram.com/katakurashouten/
◆HANOCHA
公式ホームページ(オンライン販売)https://hanocha.base.shop/
Instagram:https://www.instagram.com/hanocha_hadano/
【得意分野】 登山、キャンプ、ハーブ、旅企画
山旅専門の会社で企画手配や添乗の仕事をしていました。秦野市に移住して約3年、丹沢の主要な山はすべて登り、庭でハーブを育てたり、夫婦でキャンプをしたりと、丹沢の奥深い自然とゆとりのある環境を満喫しています。山の経験や移住者目線を生かして、表丹沢の魅力をお届けします。
Instagram:@kawamura.chika