表丹沢の麓、東地区にある田原ふるさと公園。農産物直売所や水車小屋も併設されており、普段は市民の憩いの場となっているこちらの公園ですが、その近くに、ある歴史上の人物の御首塚(みしるしづか)があることでも知られています。その名は鎌倉幕府第三代将軍、源実朝(みなもとのさねとも)公。2024年11月23日には「第37回実朝まつり」が開催されるということで…いったいどんなお祭りなのか、さっそく行ってみることにしました!
目次
第三代鎌倉幕府将軍、実朝公とは?実朝まつりが表丹沢のこの地で行われる由来について
皆さんもご存じ、鎌倉幕府を開いた将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)公。源実朝は、父・頼朝と母・北条政子の次男として鎌倉に生を受けました。同じ神奈川であっても鎌倉からは少し距離のある秦野の地で、なぜ実朝公のお祭りが行われているのでしょうか。まずは歴史的な由来から見ていくことにしましょう。
源実朝は、兄である頼家(よりいえ)が政権争いに巻き込まれ失脚した後、わずか12歳で政治の世界に入ります。もともと争いを好まず、実権も握れなかったためまつりごとには次第に興味を示さなくなったともいわれる実朝ですが、一方で晩年は官位が上がることを強く望んでいました。(実子がいなかったため、家名のためにせめて高い位を残しておきたかったと一説には言われています)
その甲斐もあり、朝廷から武士としては初めての右大臣の位を任ぜられた実朝ですが、そのお祝いの席の帰りに悲劇は起こります。就任の式典が行われた鶴岡八幡宮の階段を降りている最中、陰に隠れていた八幡宮の別当であった公暁(くぎょう)が斬りかかり、実朝は28歳という若さでこの世を去ることになったのです。
公暁は第二代将軍源頼家の次男であり、実朝にとっては甥にあたる人物でした。実朝の御首(みしるし)を持ったまま逃走した公暁ですが、追討を命じられていた三浦義村の家来たちの手によって命を落とします。御首は一時行方不明となったものの、三浦氏の家臣の一人であった武将、武常晴(つねはる)が探し出し、何らかの理由から三浦氏ではなくこの地(秦野)の領主であった波多野氏を頼り、御首を埋葬したと伝えられています。 その後波多野氏は、実朝の厚い帰依を受けていた僧を御首塚近くの金剛寺に招き、木造の五輪塔を建て供養をしました。こうして、この表丹沢の麓に実朝の御首は眠ることとなり、実朝まつりへと繋がっていったのです。
今年で第37回を迎える実朝まつり。一体どのようなお祭りなの?
実朝まつりとは、実際にはどのようなお祭りなのでしょうか。実朝まつり実行委員会会長の加藤久雄さんに、事前にお話をうかがってきました。
「実朝まつりは、昭和63年に、歴史や文化を次世代に継承していこう、また地域の活性化に繋げようということから始まりました。毎年11月23日(祝日)に開催しており、例年1200人ほどの方に参加頂いています。
まつりは一部、二部と分かれておりまして、第一部は鎌倉幕府第三代将軍源実朝の供養祭にあたります。実朝公ゆかりの金剛寺の住職から供養のお経を頂き、法要の式典を執り行います。実朝公は秦野、そして鎌倉とも深い縁がありますので、鎌倉三日会、古都鎌倉を愛する会という鎌倉にある二つの団体にも参加して頂き、交流を深めております。
第二部は、自治会を始め近隣の小学校や保育園、福祉関係や農業協同組合などさまざまな団体と連携を取りながら、地域の祭事として開催しています。まずは東地区の皆さんに楽しんで頂くことに重きを置きつつ、いかにこういった歴史文化のあるものを、絶やすことなく継続していくかということに取り組んでいます。
時代の流れに合わせて、良いものは継承し改善点は見直しながら、関わっている皆さんにも負担なく楽しんでいける形で続けていきたいなと思っています。例えば、以前は地域の団体がそれぞれ飲食のテントを出していました。ただ、役員の高齢化などもあり難しい場面が増えてきたので、昨年の2023年からはキッチンカーを導入しました。2024年の今年も7台のキッチンカーが来てくれます。
プログラムも今年はより若者中心に、フラダンスやヒップホップダンスなどの5つの団体が新たに参加してくれます。まずは地元の子どもたちに目一杯楽しんでもらって、この生まれ育った秦野、表丹沢という地を、良いところだなと思ってもらえるのが理想です」 次の未来の世代につなげていくということを一番に意識して、伝統や歴史を大事にしながらも、新しいことも積極的に取り入れていきたい、と話してくれた加藤さん。お祭り当日がより楽しみになりました!
ここからは、実朝まつり当日の様子をお届けしていきます!まずは第一部として、9時20分から実朝公御首境内にて実朝公の供養の式典が始まりました。
開式のことばの後、実行委員会会長としてあいさつをされる加藤さん。実はお祭りの前に、東小学校の4年生の社会科の授業で講師をしてきたとのこと。今までは他の県のお祭りを取り上げていたが、今年は地元のお祭りとして実朝まつりを勉強したいと、校長先生に依頼されたそうです。授業の後半は生徒からの質問も多く、秦野っ子の地元愛を実感し、今後も地域の交流の場として実朝まつりを継続していきたいと熱い思いを話してくれました。
また、高橋昌和秦野市長、千田勝一郎鎌倉市副市長を始め、多くの来賓の方から祝辞が述べられました。
式典は法要の儀にうつり、金剛寺の鈴木住職より、お経が上げられます。その後、献茶が行われました。
そして、岳精流東吟道会の方による献吟です。この日は金槐和歌集から、御首塚の近くに歌碑として残されている「ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかや 親の子を思ふ」を含めた二首が歌われました。
実朝公は12歳で征夷大将軍の座に就いたものの、政治の世界では時代の波に翻弄され、思うように実権を握ることができず、最期は28歳で非業の死を遂げました。一方で歌人としての才能に溢れ、百人一首の撰者・藤原定家(ふじわらのていか)とも交流があり、優れた名歌を数多く残しています。光と影が交互に差し続けるその人生は、まさに激動といっても差し支えないのではないでしょうか。
優しく繊細な感受性を持ち、百人一首では平和を希求する歌を残していた実朝公。柔らかい木漏れ日が差し、鳥がさえずり、子どもたちの笑い声が遠くに聴こえる中で執り行われたこの法要は、まさに実朝公が望んだ平和な風景が広がっているように感じられました。
地域の方に楽しんでもらいたい!幅広い世代の方の交流の場を目指す実朝まつり第二部
さて、厳かな雰囲気で実朝公御首境内にて執り行われた式典から、会場は田原ふるさと公園の広場に移ります。ここからは第二部の始まりです!
テントの近くでは、西田原太鼓保存会の皆さんによる「開始の合図」が始まりました。開会を告げる軽快な太鼓のリズムが公園内に響き渡ります。
続く東小学校鼓笛隊の皆さんの演奏で、一気に会場も盛り上がりました!
メンバーは6年生とのことで、凛々しい顔つきで演奏している姿が印象的でした。観客席の皆さんの後ろ姿からも、楽しんで聴いている様子が伝わってきます。
11時過ぎからは、第二部の見どころの一つでもある稚児武者行列が始まりました!日本の伝統行事でもある稚児行列。東地区の家庭に回覧をまわし参加を希望した子どもたちが、今年は総勢19名参列しました。登場した際はあまりの華やかさに、会場からは思わず拍手が!
実朝まつりの稚児行列は、稚児の他に実朝公、3人の武士と扇子を持った白拍子がいることが大きな特徴です。実は筆者も小さい頃に稚児行列に参加したことがあるのですが、その際は武士や白拍子の子どもたちはいなかったので、新鮮でした。まさに稚児「武者」行列!
元々は鶴巻温泉春まつりで稚児行列を実施したことを受けて、実朝まつりでも地元の幼稚園の園児などに呼びかけ参加者を募り、稚児行列を実施したことが始まりだそう。当初は武者は参加していなかったそうですが、今ではすっかり実朝まつりの見どころの一つになりました。実朝公の歴史に由来した、まさに実朝まつりオリジナルの稚児行列です。
稚児武者の行列は田原ふるさと公園を抜け、一路実朝公の菩提寺である金剛寺を目指していきます。
ちなみに、現在の武士たちの衣装は元婦人会の会長が鎧兜を勉強され制作したものだそう。もう何年もこの稚児武者行列を支えてくれている衣装なんです。
金剛寺では稚児行列に参加している子どもの家族も大勢待っていてくれました。稚児たちのお化粧姿も素敵ですよね。
金剛寺で皆そろってお参りです。ここで少しの休憩を挟み、田原ふるさと公園への復路が始まります。
みんな、着慣れない衣装を着ながら頑張っていました。実朝公役の子どもからは、「こういった衣装を着る機会はめったにないのでうれしい」という言葉が聞けました。
さぁ復路が始まります!帰り道は、衣装が重く感じるようになってきてしまった子も。水分補給をしながら帰ります。
源実朝公御首塚までたどり着き献花をして、2024年の稚児武者行列も無事に終わりました。今年は19人の子どもが参加してくれ、観客の小さい子からは、「わたしもやりたい!」の声も飛んできました。着慣れない重い衣装に苦労した部分もあったとは思いますが、終わった後の子どもたちは皆晴れやかな笑顔をしていました。実朝まつり実行委員会の方々が細かいところまで気を配っているのが伝わってきて、この伝統が末永く続きますようにと思わずにはいられない、素晴らしい稚児行列でした。
ちょうど稚児武者行列が終わった頃、お昼の時間に。キッチンカーによっては行列ができているところもありましたよ。
牛タン串やポテトフライ、チュロスなど、目移りした結果全部購入しました…。
レポートの合間に、こちらもちゃっかり頂いちゃいました!青空の下で食べるご飯、お祭り感を味わえて楽しかったです。
お祭りも後半に差し掛かった頃には、東田原太皷連・御輿愛好会の方々により太鼓と御輿の練り歩きも行われました。
勇壮な掛け声と共に会場を練り歩くお神輿。すごい迫力!
締めはNana’s Projectのダンス!最終的にステージトラックの外まで使い、元気いっぱいに踊っていました。
マイクパフォーマンスとともに、この日最後のステージを盛り上げてくれました!こうして、最後まで大盛り上がりで、実朝まつりの全プログラムが滞りなく行われました。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!あぁ~、とっても楽しかった!
筆者あとがき
取材当日はお祭りに相応しいすっきりとした秋晴れで、午後からは半袖でも良いくらいの暖かさ。お祭りに来た人達の楽しそうな声があちこちで響き渡り、誰も彼もみんな笑顔で、バックにそびえる表丹沢の山々が人々を優しく見守っているような光景を見ていると、何故だか涙が出そうな気持ちに。(ちょっと泣きました。)歌を愛し、平和を希求した実朝公の供養として、これほど相応しい祭りはないように感じられました。
2024年は約1500人が参加したそうです。これからもきっと毎秋、地元の皆さんに愛され楽しまれながら開催されていくことでしょう。今後の実朝まつりの情報は秦野市役所のホームページの他、OMOTANのホームページでも見ることができます。また、源実朝公御首塚もどなたでも訪れることができます。皆さんもぜひ歴史を感じに訪れてみてくださいね。
■施設名:源実朝公御首塚
■住 所:秦野市東田原1018-2
■問い合わせ先:文化スポーツ部 生涯学習課 文化財・市史担当
■電話番号:0463-87-9581
■施設名:田原ふるさと公園
■住 所:秦野市東田原999
【得意分野】 インタビュー、グルメ
フリーライターの那保です。国内旅行業務取扱管理者、添乗員資格有り。神社好き、シンガプーラ飼いの猫好き、美味しいものも大好き。
神奈川へは移住組、その多彩な魅力にまんまとハマってます。
表丹沢を駆け回れるようになるべく、目下体力づくりに奮闘中。インスタでは表丹沢ほか、魅力的な写真を投稿しているので、ぜひ覗いてみてください!
Instagram:@nyao_muu