
秦野市を代表する観光地といえば「ヤビツ峠」。表丹沢に位置し、塔ノ岳や大山への登山口であるとともに、ヒルクライムの聖地として毎年多くの登山者やサイクリストが訪れます。ここに2021年にオープンした「ヤビツ峠レストハウス 丹沢MON CAFE」は、「丹沢ロイヤルカレー」や「クロモジ茶」など丹沢ゆかりのオリジナルメニュー、丹沢山麓の特産物の販売、登山ツアー、森林セラピーガイドと歩くハイキングなどの体験イベントを提供しています。オーナーの平野有恒(ゆうこう)さん、君子さん夫妻にお話を伺いました!
目次
木の温もりと香りに包まれるヤビツ峠レストハウス

ヤビツ峠に初めて訪れる記者は公共交通機関で移動しました。まず秦野駅から神奈川中央交通バス「蓑毛経由ヤビツ峠行」に乗って約50分、「ヤビツ峠」で下車して徒歩1分。バスの本数は時間帯にもよりますが、数時間に1本なので、神奈川中央交通の時刻表(時刻リンク)の確認を忘れずに。
終点の「ヤビツ峠」を降りてすぐ左手方向には、「ヤビツ峠レストハウス」の看板を発見。目の前に開ける森林の眺望にうっとり。約束の時間より少し早く到着した記者ですが、澄んだ空気を全身で感じながら気持ちよく深呼吸したり周辺の自然を観察したり。
すると、レストハウスのオーナーの平野さん夫妻が声を掛けてくれて暖かく迎え入れてくれました。
店内は、秦野産の木材がふんだんに使われ、中央にはスタイリッシュな薪ストーブ。洗練された印象を与えながらもどこか暖かみのある空間が広がります。

窓の向こうには緑の木々。眺めていると店内と外の境界線がすぅっと溶け合うような感覚が生まれます。

有恒さんが焙煎されているという珈琲を君子さんが出してくれました。秦野の水をイメージしているそうで、スッと清らかな味わい。(ヤビツ焙煎コーヒー550円)。じわりと心身が緩んでいくのを感じながら、薪ストーブを前にすると対話が自然に進みます。「薪ストーブは体の芯から優しく暖めてくれます。『ゆらめく炎につられてつい入ってしまいました』とお客様にも喜ばれています」(有恒さん)とカフェのシンボル的存在になっているそうです。

生まれ育った秦野で都内の経験生かす

平野夫妻は、なぜヤビツ峠レストハウスを運営することになったのでしょうか。平野有恒さんは秦野で生まれ育ち、先祖代々、秦野で商売をしてきたと話します。「ご先祖様の稼業はタバコの仲卸業を生業としていました。明治時代にタバコが専売制になって以降は秦野木綿の商売をしていました」。有恒さんにとって表丹沢の山々は身近な遊び場所でした。
幼い頃は「天気がいい日や、雪の降る日に合言葉のように『よし!ヤビツ行こう!』と父が連れていってくれました。大学卒業後に秦野を離れてからは、東京でお店を立ち上げて経営したり、広告制作関連の仕事をするなど経験を積んできました」といいます。
奥様の君子さんとは学生時代のゼミの友人がきっかけで出会います。当時を振り返り「こだわりの強い人だなと思った」と目元をふっと緩める君子さん。
都内で生活をしていた二人が秦野に戻るきっかけとなったのは、ライフステージの変化でした。そのタイミングに「ヤビツ峠にあらたな観光拠点ができ、運営者を募っているそうだ。面白そうだな」と父・義燿(よしあき)さんから有恒さんに話があり、印象に残ったそうです。さらに後押しとなったのが登山や仕事を通して交流の深い仲間の存在でした。
「仲間と夏山に行き風雨で停滞するテントの中、運営者募集の話題で盛り上がり、それがきっかけで応募することになりました」と有恒さん。 応募の準備は大変だったそうですが、周囲のサポートを得ながら、父・義燿さんをはじめいつも一緒に山に行く登山仲間と運営することに決まりました。
有恒さんは「登山はパートナーに命を預けるような場面も多々あり、公私ともに寝食や苦楽を共にした仲間の存在は大きいですね。以前、広告の仕事でお世話になった中村正道さん、桐生克明さんには、カフェの立ち上げから、ロゴマークなど様々なデザインなど力になってもらい、一緒にクロモジを採取したり、厨房に立ったりすることもあります。また、ご先祖様から代々培ってきたひとつひとつの行動が、秦野でのご縁へと繋がっているということに改めて感謝する日々でした」と振り返ります。
祖母の思い出のカレーを名物に

看板となるメニューを考えた時に思い付いたのが、有恒さんの祖母・平野ハツさん(享年108歳)の思い出のカレーです。
1982年、当時皇太子だった今上陛下が丹沢山の「みやま山荘」を訪れる際に、山荘の代表にオファーがあり、料理研究家のハツさんに「好物のカレーを用意してほしい」と話が持ち上がりました。
ハツさんは研究に研究を重ね、作り上げたそう。 「当時はスパイスも珍しい時代に、外国帰りの外交官夫人からカレーの作り方を習い、国内外の有名な先生にも師事していたそうです。祖母の行動力は当時のインタビューの音源を聞くととてもエネルギッシュだったと感じます。様々な香辛料を取り寄せてはカレーを作り、その長所を凝縮した至高のカレーは「平野家のカレー」として親族で受け継がれてきました。家でも、たまねぎを何時間もかけて炒めるところから始まる、手間暇かけて作る祖母の姿が記憶に残っていますね」(有恒さん)

生前のハツさんと一緒に台所に立ち、カレーを作る機会があった君子さんは、「これを一人で作るなんてとんでもない!」と驚くほどの手間暇かかる行程だったと語ります。
「どうすればレストハウスの小さな厨房で、祖母のカレーを再現し、質と量を安定的に提供できるか?」と、全国を探し回って行き着いたのが神奈川県平塚市の会社でした。「ちょうどコロナ渦でスケジュールが少し空いたタイミングで、そこの料理長と一緒に試行錯誤しながら商品化できたのは本当にありがたいことでした」と当時のことを振り返り感慨深い表情を浮かべました。
思い出のカレーに欠かせないもの。それは、平野家秘伝のチャツネです。チャツネとは、カレーの隠し味によく用いられる果実などをペースト状にしたもの。仕上がりの直前に入れることでコクと奥深さが何倍にも広がります。しかし、ハツさんの残したレシピはあるものの多くは不明でした。君子さんは「祖母ならどうするだろう?」と徹底的に考え、ベースに地元産の無農薬レモンや季節折々の柑橘類をふんだんに使用するなど手探りで秘伝のチャツネを作り上げました。「祖母の料理にかける妥協なき姿、常に研究を続ける探究心と想いを引き継がないといけないと思うんです」とハツさんとの思い出を惜しむ二人。二人の熱い想いを受けて、思い出のカレーは看板メニュー「丹沢ロイヤルカレー」(1300円)として生まれ変わり、提供されています。

季節で変わる贅沢デザートと丹沢に自生するクロモジ・リーフティーで優雅なお茶の時間
カレーと共に、まるく穏やかな味わいと、爽やかな香りが印象的なクロモジ・リーフティー(550円)をいただきました。明るく陽が差し込む店内で煌めくお茶、影も綺麗・・・。丹沢の森に自生する樹木のクロモジ(クスノキ科)は免疫強化、鎮静作用など様々な効能があると言われており、日本固有の和ハーブです。お好みで少しお砂糖を入れても口当たりがふわっとまろやかになり美味しいですよ。季節によってアイスティーや、生葉を使ったクロモジ・フレッシュリーフティー(それぞれ650円)に変わるそうで、四季折々のクロモジ茶をお楽しみに。

食後に頂いたのは季節のロールケーキ(単品650円)。ニンジン特有のクセがなく、ほんのり甘い蓑毛産アロマレッドを使ったキャロットソースも君子さんの手作り。フレッシュなソースはどれほど丁寧に濾されたのだろうと感じるほどに滑らか。ほのかな人参の香りと上品な味わいの余韻にひたる記者。「これも祖母が『ジャム・保存食』という本を『主婦の友』で出版していただいたことがあって、色々なレシピを参考にしながら作りました」
ここでもハツさんの“料理は思いやり”の想いがしっかりと受け継がれています。

秦野産のクロモジを丹沢の湧水で蒸留した100%天然成分のアロマウオーター

森林セラピーなどのイベントで蒸留体験の中でクロモジが使われることがあっても、秦野市ではクロモジを用いた商品が製品化されておらず、もったいないと感じていた有恒さん。
「思いがけない機会に恵まれ、実家の古い納屋を蒸溜所に改造しました。表丹沢の湧水で蒸留したクロモジ・アロマウォーターは、クロモジ・リーフティーのために葉や花を採取したときに余る枝を有効活用できないかと考えたところから開発した商品です」と話します。
原料は有恒さんが仲間と共に森に入り、採取しています。「クロモジは、和菓子の高級ヨウジに使われますが、表丹沢に自生しています。いいものを作るためには、手をかけることを惜しまないことが大事だと思います」と、良質なもの作りのための姿勢がこちらでも徹底されています。
「あわい」がキーワード 人と人、人と自然、里と山をつなげる場所へ

料理や商品開発の他、音楽家を招いたティータイムコンサートや、森林セラピーガイドと歩くハイキングなど多彩なアクティビティを展開しています。平野夫妻のお話を伺うほどに、休憩所、食事処、ととても一言では表せないもどかしさを覚え始める記者。それを察してか、有恒さんはこう教えてくれました。
「丹沢MONのコンセプトに『あわい』というキーワードがあります。『間』を意味する古語で、山と山、街と山の間に位置するこの場所を、『人と人、人と自然、里と山のあわいとして、それらをつなげる場所にしたい』という想いがあるんです。ご先祖様、仲間、秦野市の活動、お客様のおかげでこの場所が生まれました。その『おかげさま』にどう応えていくか、日々の課題です。祖母は『料理は思いやり』とよく話していました。私たちも誠意を持って、相手を思いやり仕事や人に接することが大事だと思います。そのためにも日常の忙しさに翻弄されることなく、季節や自然から学び生きることを心がけています」
有恒さんと君子さんの頭の中は、まだまだたくさんの企画やアイデアがあるんだとか。 「ヤビツ峠レストハウス丹沢MON CAFE」の尽きない魅力は、祖母ハツさんから継承された平野ご夫妻の「まごころ」が何よりのスパイスとなっているのかもしれません。
取材後記

自然があり、自然を楽しむ人が集まる。人が集まる場所や出会いがあって自然が活きる。里があるから山は山として在り、その逆も然り。ものと人の間、人と人の間、自然と人の間に重なり合いが生まれ、そこに光がスッと差し込み照らしていくイメージが浮かびました。「秦野といえば〇〇、表丹沢といえば〇〇」とスマホで検索すると様々な情報が出てきますが、「何一つ決めることはなく、自分にとっての繋がりや楽しみ方を見つけたらいいんだよ」と背中をそっと押してくれるようなメッセージを感じた記者。
訪れる人のその時々の想いにそっと寄り添うガイド的な存在でもある、博識な平野ご夫妻。秦野や表丹沢のことを聞いてみると旅の楽しみ方や思い出がグンと深まることでしょう。
■施設名:ヤビツ峠レストハウス丹沢MON CAFE
■住 所:秦野市寺山字鷹採1728-1
■電話番号:0463-73-5688
■営業時間:平日午前9時から午後4時まで
土日祝日午前8時30分から午後4時30分まで
■定休日:水曜日及び木曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
■アクセス
公共交通機関:
小田急線秦野駅よりバス【秦21】「ヤビツ峠行き」で約50分、終点「ヤビツ峠」下車、徒歩1分
自家用車:東名高速道路「秦野中井IC」から約15キロ、約40分
新東名高速道路「秦野丹沢スマートIC」から約15キロ、約40分
■施設情報
公式ホームページ:https://tanzawamon.jp/yabitsutouge-resthouse/
Instagram:https://www.instagram.com/tanzawamon/
Facebook:https://www.facebook.com/TanzawaMON/